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第21話 6

「わたし、エビチリ……すごく好きなのに、ひどいよ」
「えっ、好物だったのか〜そりゃ悪かったよ、香澄。おれも兄貴のエビチリ好きだから……つい」
「悪かったよじゃないよ、億泰くんは今まで何度も虹村くんのエビチリ食べたでしょ? わたしにとっては今日がはじめての、いわばエビチリ記念日みたいなものなのに」

 ――エビチリ記念日ってなんだそれは。
 思わず声に出して突っ込みそうになり、 香澄に睨まれそうだったので沈黙を維持する。
 鼻をすんすんとすすりながら、ぎこちない文句はしばらく続く。

「せっかく虹村くんがエビチリ……わたし、ひとくちしか食べてないのに、美味しかったのに」
「わ、悪かったよぉ〜っ、でもゲロ吐くわけにも――」
「そういうの食卓で言わないで!」
「ううっ」

 涙目で睨まれた億泰が気圧される。
 当人たちには深刻な問題なのだろうが、端で眺める形兆にとってはアホらしいやり取りだ。
 たかがエビチリごときで。だが悪い気はしなかった。
 形兆はため息をひとつついて、小皿に取り分けていた自分の分のエビチリを香澄に寄越した。

「砂原、そこまでにしとけ。辛めのソースつけたあとでよけりゃあ、俺のをやるから。いい歳してみっともねーぞ」
「……言いたいことあんならはっきり言えって言ったのは虹村くんなのに」
「限度ってもんがある。エビチリいらねーのか」
「いります」

 素直なことだ。香澄は形兆の差し出した小皿を素早く受け取った。

「わかった、じゃあ虹村くんに免じて許してあげ――げふっ、かはっ、か、からぁっ!」
「……だからいったろ、辛いって」

 慌ててコップを飲み干しはじめる香澄に居心地が悪くなり、形兆は視線をそらした。
 ちらりと横目で、白い喉が上下する様子を盗み見ていることに――気づかないまま。







 この日から明らかに香澄と形兆の関係は変わった。
 一定の距離を取り、互いに怯えるようなそぶりを見せていた二人から、それが消えたのだ。
 目を会わせないようにしていた形兆はいつしか、香澄を目で追うようになり、話しかけるようになる。
 形兆が帰ってくると、香澄はだいたいリビングか台所にいる。
 その背中を捕まえて――あるいは香澄の部屋をノックして――

「砂原、なにしてる」

 と呼び掛けるのが、「ただいま」の代わりになった。

 形兆がそう尋ねる度、香澄はにっこり笑って「宿題してるの」「夕飯、ぶり大根にしようと思うんだけどどうかな」と顔をほころばせるのだった。
 とろけるような笑みを見なければ帰った気にならず、たまに香澄より先に帰ると形兆はむずむずとして香澄の帰りを待つのだった。

 自分がこんなに面倒見のいい人間だとは思わなかった。形兆は苦笑する。
 もう完全に、香澄は家族の一員になっていた。

 形兆が一手に担っていた億泰の世話や家事を香澄が分担するだけで、形兆の負担は劇的に減った。人の感情がわかる香澄は形兆と億泰の心理によく気を回したし、まさに潤滑油のような存在になった。


 そしてなにより――。香澄は形兆のことが好きだと言う。
 柔らかな体に抱き締められると嫌なことも辛いことも、そのときだけはすべて忘れられた。
 胸のなかにつまって吐き出せなくなっていたものがすべて吐き出されて、清浄なものが胸を満たしてくれる気がした。涙を流すのは恥辱だが、そうすることで気持ちは楽になるのだと、形兆ははじめて知った。
 始まる前に終わっていた人生の時計が動いていくような、そんな気すらしていた。
 だから形兆は、大事なことを忘れつつあった。

 ――自分の手が血にまみれていることを。


 柔らかな日常に触れながら形兆はそのことを忘れていたのだ。








2014/4/17:久遠晶

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